気まぐれ日記 04年6月
04年5月はここ
6月1日(火)「束の間の喜び、ゴキで吹っ飛ぶ・・・の風さん」
梅雨入り間近である。今年はもっと快調に執筆を進めるつもりだったが、会社の仕事がちと忙しすぎる。
そんなこんなで、このところ、頭に血がのぼった状態のまま帰宅してしまう。よくないとは思いつつ、性分なのだろう、つい右手で握りこぶしを作ったりしてしまう(筋力が衰えているので、鍛えないと、そのうち握りこぶしはおろか、じゃんけんでグーも出せなくなるぞ)。
メールチェックしたら、母校の附属図書館から講演依頼があった。昨年の京都大学に負けじと、和算の企画展を開催するとのことである。時期は青葉もゆる・・・じゃなくって、落ち葉の季節、10月末である。
うれしくって、ワイフに報告するため階下へ降りて行ったら、あいにくワイフは、浴室に出現したゴキと格闘しているところだった。
6月2日(水)「四方山話・・・の風さん」
毎日頭に血がのぼっていて、いつ血管が切れるか分からない状態だ。それでも、帰宅してからのわずかの時間に執筆準備だけは少しずつ進めている。某図書館から借りている本の、必要な部分だけのスキャナー読み取りが、もうすぐ終わる(一度に10枚しか取り込まないので、日数がかかっている)。地元の図書館にお願いした相互貸借図書も、やっと入荷したという連絡があった。国会図書館で2度借り出して、「禁複写」のため、せっせとパソコンに入力していた本である。こういった準備が多少なりとも進んでいるので、何とか血管が切れずに済んでいるのかもしれない。
それから、作家鳴海風宛に、「超漢字原稿なんとやら・・・」というソフト販売のダイレクトメールも届いていた。原稿作成を仕事にしている人をターゲットにしたソフトらしい。でも、そういうプロだけを相手にしたのじゃ、売れても本数が知れているよなあ。プロに使わせて評価してもらい、実際は、一般の人が使うワープロソフトとして販売するべきだと思う。
長崎で悲惨な事件があった。インターネットのチャットが原因らしい。私のホームページは、開設以来、掲示板の類いはない。これは、鈴木輝一郎さんが「バトルをしたくなければ、掲示板は置かない方がいい」と言っていたからだ。掲示板がなくても、ついにアクセスカウンターが50000を超えたぞ。
6月3日(木)「貴族で電球を交換?・・・の風さん」
知人の作詞・作曲家神門耕さんと貴族へ行く約束をしていた。貴族の久美ちゃんへも「行くからね〜」とメールを送ってあったので、最初から、すごく力が入っていた。
ところが、夕方、久美ちゃんから体調悪く、今夜は会えないという電話が入った。とてもガッカリしたが、まだ神門さんとの約束があったので、予定は変更しないことにした。
8時にJR新橋駅で落ち合って、まずは居酒屋で軽く腹ごしらえを・・・と思っていたのだが、神門さんは既に某所で飲んできたとのこと。それで、私だけの腹ごしらえを目的に、初めての店に飛び込んだ。なかなか変わった料理の出る、リーズナブルな料金の店だった。
前回、貴族へ行ったときは週末の金曜日でとても混んでいたので、今回は意図的に木曜日にして外したつもりだったが、前回以上の混みぶりだった。で、カウンター席ということになり、そこで、入れ替わり立ち代わりの女性と話しながら飲んだ。先週末に久美ちゃんと一緒に、2泊3日の台湾旅行(いちきゅっぱ、だったそうだ!)に行ったえっちゃんに本場の茶器でウーロン茶を淹れてもらって飲んだ。美味かった。続いて、油っこくって不人気だという久美ちゃんのお土産のクッキーが出てきたが、私の口には合った。
余興で、天井の電球を交換するパフォーマンスをして見せたら、ひどく感動された。女ばかりの職場では、電球が切れるだけでパニックらしい。もっとも我が家でも、それはよく似た状況で、電気、水道、大工仕事一般にいたるまで私ひとりに頼りきっている。
6月4日(金)「カッコつけて損した風さんの巻」
昼間、けっこう厳しい仕事をしたので、極端に違った世界を全身が求めていた。
午後8時過ぎにホテルを出て、地下鉄に乗った。
目的地は六本木のワインバー。知り合いのジャズ歌手が出演するので、聴きに行った。ただし、残念ながら、同行者は「なし」。
週末に限らないだろうが、とにかく今日は金曜日、24時間眠らない街、というのが、私の六本木観である。さらに、地下鉄の駅から地上に出た瞬間、外人が異常に多くて、日本とは思えない街、という印象もある。
実際、今夜もそうだった。日比谷線の地下鉄に乗っている時から、六本木に近付くにつれて、乗客の外人比率が急速に高まり、六本木駅で一気に吐き出された。そして、地上に出てみると、もう、そこは外国だった。黒人も多かった。私は、とりあえず風来坊の風さんに変身しているので(ちょっと見では、サラリーマンには見えない筈だし、後ろから見てすぐ50男とはばれない自信があった)、キョロキョロしたりしなければ、よそ者とは思われないだろう。
場所は、あらかじめホームページで入念にチェックしてあったので、だいたい見当がついた。そもそも六本木交差点付近は、何度も来ているところだ。ただ、ここ数年ご無沙汰していた。
ようやく、午後9時、目的のワインバー「クリマ」にたどり着いた。私がその夜、最初の客だった。待っていたように、最初のステージが始まり、私は白ワインと料理を頼んだ。落ち着いた店で、静かに音楽と料理を楽しむにはうってつけだ。特に、今日のように、昼間の仕事で心が疲労しているときは、こういうゆったりとした贅沢な時間は必要だ。ギターの音が、今夜は特に胸に沁みる。やがて、ぽつりぽつりと客が入ってきたが、すべて彼女の歌が目当ての人たちで、何となく納得した。そのうちの一人が、彼女のヘアーメイクをしている若い女性で、雰囲気や人柄が勤務先のある女性にとってもよく似ていて、ついつい見惚れてしまった。豪快な性格の持ち主のようで、一方、とてもチャーミングな女性である。自分の店を持っているそうだから、カリスマ美容師の一人なのだろう。
最後のステージが終わって、ギタリストのギターを見せてもらった。ジム・ホールのサインが入っていた。
終電がなくなってしまわないうちに、と店を出た。
六本木駅へと道を急いでいる時、意外なことが起きた。
突然、左から腕をからめてくる者がいた。振り返ると、若くて可愛い女性である。「遊んで行かない?」と言うのである。強引さに危険を感じた私は、咄嗟に、こう答えた。「No,
thank you!」。しかし、その程度では腕を放さない。そりゃ、そうだろう。ここは外人の多い街だ。「That's
that.」。ようやく、その子は諦めた。
しかし、可愛い子だったなあ。私は、「How
much?」と言えなかったことを後悔した。
6月5日(土)「午前中は取材、夜は自治会・・・の風さん」
今日も雲ひとつない青空が広がった。
先日、上京したときに雨でできなかった取材を決行した。
銀座線で「稲荷町駅」まで行き、そこから徒歩で、源空寺という浄土宗のお寺へ向かった。墓地にある史跡、高橋至時の墓を見学するのが目的である。高橋至時は有名な伊能忠敬の師に当たる人物で、弟子の伊能忠敬は、遺言で自分を師の墓の隣に埋葬した。だから、伊能忠敬の墓も隣にある。
こういった歴史上重要な人物の墓は、いたるところにあり、日々あくせくと働いている我々は、それに気付かない。たまたま映画や小説などに取り上げられると、関心を持つようになる。そして、偉大な人物を特別視してしまいがちだが、過去はもちろん現在だって、そういった人物はたくさん身近なところにいる。平凡な我々と同様に、人生に悩み、家族や親戚、職場、友人との人間関係でもあれこれと気を遣いながら、立派な足跡も残しているのだ。私は偉大な人物の偉大な業績とともに、彼らの日常も描いていきたい。
今夜も、前回と同様に、自治会の役員会が開催されるので、早々に東京を後にした。
名古屋に着いたのが、2時15分で、自宅にたどり着いたのは、3時半ころである。
地元の図書館に相互貸借で隣県の図書館から借りてもらった書籍を受け取りに行き、早めの夕食を摂ってから、役員会に出かけた。役員会は、午後10時までかかった。一部の役員らは、その後、飲みながらまだ打合せをするが、私は、先に失礼し、こうして気まぐれ日記などを書いている。
6月6日(日)「交渉人役のラッセル・クロウにしびれたの巻」
昨夜から雨になった。ゆっくり起きたが、依然としてしとしと降っている。庭のアジサイが輪郭から咲き出している。現代人は、毎日駆け足で生きているが、季節はマイペースで時を刻んでいく。
昨日、図書館から借りてきたDVDを観た。メグ・ライアンとラッセル・クロウの「PROOF
OF LIFE」である。人質救出のための交渉シーンを見ていたら、一昨日の会社の仕事を思い出した。
「金を出せば、人質が生きているという証拠を見せてやる」
「生きている証拠のために金なんか出せるか」
「金を出さなければ、今すぐ人質を殺すぞ」
「本当に人質が生きているなら、ちょっとだけでも声を聞かせろ」
「・・・」
お互いに一歩も引かない交渉。スリリングだった。
しかし、この作品の最大の魅力は、ラッセル・クロウが人質の奥さんであるメグ・ライアンを好きになってしまう点だ。ラッセル・クロウには分かれた妻との間に子供があった。
「あなたの息子さんが誘拐されたら、どうする?」
「信頼できる交渉人にすべて任せる」
感情をはさんだら、冷静な交渉はできないという意味だ。しかし、ラッセル・クロウは、最後は交渉を諦め、命を賭けて人質を救出に向かう。無事救出に成功することは、メグ・ライアンとの別れを意味しているにもかかわらず、だ。愛する人の幸福を考えたとき、それは人質となっている主人を救い出すことだ、と結論したのである。
6月7日(月)「会社のパソコンを更新したぞの巻」
サラリーマンにとって月曜日は決して気分爽快とは言えない。たとえ休養十分だったとしても、だ。決まった仕事をこなすだけなら、1週間は見えている。しかし、会社の仕事というのは、予定通りに物事が運ぶことはない。変化にいかに迅速かつ柔軟に対応できるか、それが仕事なのだ。スリリングであり、自分の可能性への挑戦にもなるわけだから、こんな楽しいことはない、とも言える。し、か、し、だ。私のように、個人的な夢を追っている者からすれば、そのような楽しみも、ほどほどにしておかなければ、かえって精神的におかしくなる。もう限界を超えて、だいぶ月日が経過している。
私自身の精神がぶっこわれる前に、先日、会社のデスクトップ・パソコンがぶっこわれた。ソフトがこわれたのである。ウィンドウズNTで、デフラグやエラーチェック機能がなく、おまけにOSのCD−ROMを捨ててしまっていたので、修復できない。アプリケーション・ソフトが次々に動作異常を起こし出したので、とうとう使い慣れているウィンドウズXpのノートパソコンに切り替えることにした。
それが、今日やっと手に入った。職場のパソコン関係の担当者が前号機とほぼ同様な状態に復元してくれていたので、すぐに使用することができた。残されていたのは、本当に自分用にカスタマイズすることだけだった。
仕事はいつも通りに息つく間もない慌しさだったが、パソコンがしっかり動いてくれたので、それだけはとても気分よく仕事ができた。帰宅前にメーラー(社外との送受信専用)のセットアップをして、今日一日の最後の長いため息をついた。
6月8日(火)「どいつもこいつも老いぼれやがって・・・の風さん」
ここのところ、ミッシェルの始動がもたつく。原因はよく分からない。2年目になるバッテリがもう弱ってきたのだろうか。そんなことでは困るのだが。しかし、エアコンを使っているとはいえ、パワーも低下しているような気がする。オイルも交換したばかりだし、・・・不思議だ。
最近、シルバーの寝ている姿をよく見る。猫だからよく寝るのは当然だが、それにしても、朝となく昼となく夜となく、よく寝ている。シルバーも12歳くらいになる筈だ。人間なら、もう立派な初老だろう。我が身を見る思いがする。家族の下着をくわえて異様な声で鳴くのも、もしかするとボケ症状なのかもしれない。そのジジイのシルバーに対して、依然としてチーズ・カマ・ペコは突然襲いかかる。18歳の娘が50歳のジジイに襲いかかるのである。ジジイは喜びたいところだが、若さの勢いにはかなわない。ヘタをすると骨折ぐらいしかねないのだ。
文明の利器であるパソコンの力を借りながら執筆の準備を進めている私も、何のことはない老化対策としてパソコンを活用しているだけだ。・・・? まさか、ミッシェルも寿命? まだ、走行距離は75000kmだ。
6月9日(水)「出版置いてけぼり・・・の風さん」
夕べは新鷹会の仲間が新作を出版したとのことで、さっそくネット注文した・・・ら、今日、若桜木虔さんからも新作が届いた。旺盛な執筆力だ。『寝台特急出雲・大井川の殺人交差』(実業之日本社 838円税別)
最近、天城一先生や辻真先先生のトラベル・ミステリを続けざまに読んだので、それらと比較できて面白い気がする。恐らく、トリックの比較ができるはずだ。しかし、はたして読む時間が確保できるか、それが最大の問題で、そのことを熟知している若桜木さんは、「鳴海さんが読んでくれなくても、奥さんが読んでくれればいいです」としっかりリスクマネジメントしたメールを、かなり前に送ってこられた(拍手)。確かにその通りで、私が読まなくても、リビングに置いておくと、いつの間にかワイフが読み出しているのが常だ。そして、それに気付くたびに私は喚く。「どうしてボクの『怒濤逆巻くも』下巻を読んでくれないの?」
6月10日(木)「ひょうきん夫婦の会話の巻」
例によって老人性全身コチコチ症候群(・・・なんてあるか?)のために気分が悪かったので、退社後、トレーニングに直行した。
はたして体力低下、オーバーウェイト気味だった。が、すっきりしたあ〜。
血圧計はやっぱり修理中でなかったので測定できず。しかし、トレーニング後の体重は、肥満度−1.5%で、体脂肪率18.4%だった。やっぱり、週に2回は無理してでも行かないと、残りの人生を元気に過ごせない。
帰宅したら、夕食にビールが出た。(サービスいいなあ)と思ったが、当然のようにグラスは2個。さらに、最初の1杯はワイフのグラスが先に空になった。
新聞を見ながら、「出生率(しゅっしょうりつ)が1.24だって・・・」と言ったら、「しゅっせいりつ、じゃないの?」と聞くので、2階から電子辞書を持ってきて、見せてやった。「出生率(しゅっしょうりつ)に出生届(しゅっしょうとどけ)だよん」「でも、しゅっせい、と入力しても出生が出てるわよ」(くそ。広辞苑の裏切り者め)
ワイフがリビングのソファへ逃げて行った。
「若桜木さんの新刊ミステリ、3ページで犯人が分かるらしい」「え? 私、もっと読んだけど、分からなかった」(くそ。やはり、もう読みだしたか・・・)「有名人の名前がもじってあって面白いわ」(どうせおいらの『怒濤逆巻くも』は実名ばかりですよーだ)
「夕刊に(藤原)紀香さんが出ているけど、読んだ?」「まだ」「なんで読まないんだ。ほら、アナン事務総長とツーショットで、紀香さん、こんなに美しい」「・・・」
6月11日(金)「中央道を快走する風さんの巻」
午後から中央高速道を突っ走って中津川まで出張した。最近ミッシェルのパワーが落ちているので、高回転で走れば調子が戻るかと思ったが、イマイチ吹けが悪い。アクセルを踏み込んでも加速感が不足している。シフトダウンもなかなかしない。それでも同僚との合流ポイントである恵那峡サービスエリアには、一番に飛び込んだ。今から24年前の初めての職場旅行のときも、レビンでここへトップに飛び込んだのだから、スピード狂は年齢とは関係ないか(笑)。
仕事はもちろん厳しいものだったが、それなりに楽しんで、帰りは豪雨になった。四国付近まで北上してきた台風が温帯低気圧になって雨を降らしているのだ。しかし、帰りはほとんど下りだったので、ミッシェルのもたつきはそれほど気にならなかった。
名古屋高速は事故で渋滞していた。それで、自宅まで片道2時間ほどかかってしまった。
昨日のトレーニングのおかげで体調はまずまずだったが、疲労感は後から襲ってきた。明日からの執筆に備えてさっさと就寝した。
6月12日(土)「今日も1日中受験生・・・の風さん」
予定通りに9時間の睡眠をとった。鏡を覗いてみると、白目が真っ白である。よく寝た証拠だ。朝食用のトーストが切れていたので、生卵をかけたご飯を1杯食べてすぐ書斎に入った。
やることは死ぬほどあるが、雑務は一切手をつけないと覚悟する。メールチェックも朝昼晩の3回だけにしておこう。そうして、とにかく資料を読みながら全体のストーリーを考えるのだ。資料を読んでいると、やがて執筆の神様がご降臨なさることになっている。
昼食は昨夜の残りのカレー。自分で暖めて、さっさとすませてまた書斎である。これまで集めた資料が膨大にあるので、それらを拾い読みしながら、重要な項目は年表に書き込む。そんなことをしているうちに、早、晩飯の時刻となりにけり。わー、もう食ってばかりみたいだあ〜。
夕食後も書斎。疲れてきた。執筆の神様がご降臨なさる前に、自分自身が地下に降臨してしまいそうだ。
結局、資料読みばかりで1日が終わってしまった。
さらに、必要な資料が出てきて、また図書館で借りて読むかコピーしなければならなくなった。
6月13日(日)「置いてけぼりの風さんの巻」
今日も昨日に続いて資料読み。当初は、日本数学協会の講演会が名大で開催されるので、それを聴講に行こうかと思っていたのだが、一緒に行く約束をしていた知人の都合が悪くなったので、私もパスすることにした。
結局、夕方まで資料読みで日が暮れてしまった。しかし、この二日間で、書き始めの部分が決まったことは収穫だった。主人公というか視点もほぼ決めたので、あとは主題に沿って、どのように展開していくか決めなければならない。ああ、時間がもっと欲しい。
ここで無理をするとまた体調がおかしくなるので、夕方からトレーニングに出かけた。これからは体調十分にして執筆に専念しなければならない。相変わらず、トレーニングルームの血圧計は修理中だったが、トレーニング後の数値は、肥満度−1.5%で体脂肪率18.1%、ついでにBMIが21.7と、しごく平均的な(健康体の)結果が出た。しかし、これらの数値に騙されてはいけない。たとえば体脂肪率もまあまあのように見えるが、恐らく内臓に脂肪がたっぷりついているだろうし、体脂肪率ならぬ脳死亡率は十分高い値になっていると思われる。
帰宅したら、新鷹会の仲間から本が届いていた。二階堂玲太著『赤い凍れ柿』(松風書房 非売品)。なかなか上品な装丁で、ノスタルジーを感じた。知人が続々と出版して、また私は置いてけぼりである。
「若桜木さんの本、もうすぐ読み終わるわよ」ワイフである。「最初の書き出しがすごく面白かったし、犯人もすぐに分かったけど、トリックも何となく分かってしまったわ」「うう・・・」読んでいない私は応えることができない。
6月15日(火)「国会図書館利用法・・・の風さん」
朝が早いのに、夕べも帰宅が遅くなり、そのまま就寝が遅くなって、今朝は寝不足。それでも、貴重な有休なので時間を有効に使わなければならない。名古屋までの名鉄特急と、東京までののぞみ乗車中に、持参した資料を130ページ読んだ。
東京駅から山手線で有楽町まで行き、地下鉄に乗り換えて大手町で降りた・・・言わずと知れた「国会図書館直行ルート」である。すぐにコインロッカーに荷物を預け、登録カードも併用して入館手続きをすると、申し込みカウンターへ突撃した。自宅でホームページで検索し、あらかじめ記入しておいた資料請求票(前回未記入の用紙をもらってあった)2枚を提出した。時刻は午前10時29分だった。実は、午前10時30分前だとこれが3枚提出できるのだが、用意していたのは2枚だけだった。
待ち時間が30分なので、その間に、新しい資料請求票を4枚用意した。はたして全部借りられるだろうか。
10時50分に本が3冊届いたので、それらをひったくるように借りると、複写カウンター目指して走った。
目的のページは、3冊の中の1冊にしかなかった。複写請求票を作成して依頼カウンターへ出した。
待つこと15分。最初の作業が終わった。
続いて本を返し、資料請求票の提出、第2弾である。迷いつつ、請求票4枚の中から2枚を提出。時刻は11時半だった。
待ち時間30分の間に3階の食堂へ行き、ピザトーストとアイスコーヒーでブランチにした。かつて鈴木輝一郎さんがアシスタントを雇って、国会図書館の資料複写を効率的にやっていたのを思い出す。やっぱり僕には秘書が必要だ・・・なんちゃって(^_^)。
12時に出てきた2冊の本は、ほとんど内容が一緒だった。両開きでA4にコピーできる方を選択し、必要ページを探して行ったら、5箇所に分散されていることが分かった(注:全ページ複写は許されない)。複写請求票を提出した時点で、待ち時間が25分である。やばい。
結局、未提出の資料請求票が2枚残った状態で国会図書館を後にして、時間がなかったので、次の予定地JR目黒駅までタクシーで直行した。
2300円かかって何とか間に合った。
昨年同様に新鷹会会員と長谷川伸先生の墓参をし、バスに乗って白金台二本榎の旧長谷川伸邸へ移動して、恒例の勉強会をした。
書庫の見学など充実した時間も過ごし、5時半に終わると再び目黒駅前に戻り、二次会になった。
私は7時半まで付き合い(生中を2杯飲んで)、品川からのぞみに乗って帰名した。
帰りの車中では1ページも読めなかった。酔っ払って寝ていたのである。
6月16日(水)「遺影を撮る瞬間・・・の風さん」
早朝から本社へ出張し、昼前に仕事が終わったので、近くの写真店に寄った。ここは会社の仕事の関係でお付き合いが始まり、今は、店長が作家鳴海風のサポーターの一人ということで、関係が継続している。
世間話をしてある頼みごとをした。秘密の大作戦である。私は、こういうイタズラが大好きだ。ついでに、「ぼくの写真を撮ってくれる?」ともちかけた。「何にするの?」「遺影にしたいんだ。うちに、あまりいい写真がないから」「ずいぶんと準備がいいんだね」「転ばぬ先の杖、というわけさ」「でも、死んだということは、転んだわけじゃない?」「(むむ・・・絶句)」
ツッコミで絶句した表情が遺影になった。
6月17日(木)「また長距離出張・・・の風さん」
昼前からまた岐阜県中津川市へミッシェルで出張した。途中のサービスエリアで昼食にうな丼を食べた。どうにも精神が疲労しているので、せめて肉体にだけはパワーをつけようと思ったのだ。しかし、その肉体が老体じゃなあ(でも、しょせんハイウェイのサービスエリアのレストランである。うな丼はわずか780円だった)。
夕方で出張先を後にし、本社へ移動した。途中でコーヒーを買い、飲みながら、のんびりと走る。つい鼻歌が口をついて出るのは、ストレスがたまっている証拠だ。また、これが独り言となると、それはボケの兆候である。
本社の駐車場でミッシェルから降りたらめまいがした。
その夜、帰宅したのは午後11時である。
6月18日(金)「小説家オンパレード・・・の風さん」
週末ぐらい速攻で退社しようと思ったが、できなかった。仕事上の苛立ちで腹の中が煮えくり返っていた。入社以来、たいていのストレスや逆境はものともせずにやってこられたのは、私が小説家だったからだ。常に客観的に状況はもちろん自分自身をも見つめることができたからだ。闘志はあくまでもホットだが、頭脳はとことんクールだった。それが、予想外の事態にうろたえている。
これだけのショックは、大げさな表現だが、部下が知らない間に精神を病んでいたことに気付いた時以来である。人間を深く考察する小説家が、自分の部下の内面の崩壊に全く気が付かなかったのだ。
今も、部下の心理が読めなくなっている。だから、自分の行動が、はたして相手にどのように響いているのかが、分からないのだ。
帰りにビールを買って帰宅した。そのビールをワイフと飲みながら夕食にした。
また、知人作家の新刊本が届いていた。楠木誠一郎さんの『陰陽師(おんみょうじ)は名探偵!』(講談社 670円税別)である。シリーズ物で、これで何作目になるのだろう。うちの次女がすっかり気に入っていて、届くのを楽しみにしていて、届くとあっという間に読んで、感想葉書をせっせと書いて送っている。今回は抽選で著者のサイン入り色紙が手に入るらしい。「もし外れたら、特別にお願いしてもらってあげよう」と言ったら、「わーい」と単純に喜んでいた。
さらに、早乙女貢先生の作家生活50周年記念パーティの案内状が届いていた。歴史文学賞のときの審査委員でお世話になった先生だけに、ぜひ出席したい(・・・が、ウィークデーなので、問題は時間確保である)。
「早乙女先生は、絵もお上手なんだよ」と、ワイフに「火焔不動」の絵葉書を見せたら、「早乙女先生みたいに怖い顔してる・・・」だって。断じてそれは違う。ワイフは、歴史文学賞授賞式で、早乙女先生が、「数学嫌いで小説家になったのに、数学を題材にした小説を読まされるとは思わなかった」ときつい挨拶をされたことを指摘しているのだ。
ワイフがまた口を開いた。
「ところで、若桜木さんのトラベルミステリー、最後の最後までトリックが仕掛けてあって、最後の場面は予想外だった。すっごくサービス精神旺盛な作品だったわ」
こりゃ、読んでみなければならない。
6月19日(土)「奇想天外も少しは必要・・・の風さん」
目が覚めて、ベッドサイドの窓を開けたら、爽やかな風が吹き込んできた。台風はまだ沖縄のあたりで、その影響はむろんない。今年は過ごしやすい梅雨なのかもしれない。
先週末は執筆に専念した(実際は何も書けなかったが)。この1週間は、空白だったとも言える。束の間の東京も、断続的な作家活動の一つの点でしかなかった。点と点がつながれば線になると思われがちだが、大きさのない点は、どれだけたくさんつながっても線になんかなれっこない。点と点をつなぐものはやはり線なのだ。しかし、その線引きのいかに難儀なことか。
郵便受けに、木曜日の会合の資料が入っていた。地元の役員の集まりだ。すっかり忘れていた。否。たとえ覚えていたとしても出席できなかった。帰宅したのは午後11時だったのだから。
図書館で本を返却ついでに、またDVDを借りてしまった。ジェニファー・ロペスの「ザ・セル」である。
今夜も夕食時にビールを飲んでしまい、仕事にならなかったので、「ザ・セル」を観た。
「羊たちの沈黙」のような雰囲気の作品で、ストーリーは奇想天外である。エンターティンメントは、常人の発想の上を行かないと価値はないから、そういう意味で合格の作品だ。オーソドックスな文芸作品を書く私の場合、どうしてもストーリーが堅実になりがちである。読者へのサービス精神も発揮させねば。
6月20日(日)「気まぐれ日記休止宣言」
台風はゆっくりと北上しているらしい。湿った風が吹いていて、空もどことなく憂鬱げだが、かろうじて雨は降っていない。そんな中、ひたすらストーリーを考えながら史料の整理を続けた。
夕方からトレーニングに出かけた。今日は少し無理してメニューをこなした。入念なストレッチの後、ラボードを12分やり、それから腹筋と背筋を各30回。もう汗だくである。続いて、ラットプルダウン、レッグプレスといつものコースをこなしてから、久しぶりにショルダープレス、レッグカール、バーチカルローイング、レッグエクステンション。筋力低下がはっきり分かる。フラフラしながら、最後はいつものバタフライとカーフレイズ。マッサージをした後、計測してみたら・・・。肥満度−2%で体脂肪率が17.2%、BMIが21.6と、さらに数値が向上した。このペースでトレーニングが続けられれば、初老の風さんも少しは元気に仕事ができるような気がする。問題は、時間の余裕があるか、だ。
時間の余裕。そう。とうとう「赤信号」点灯である。相当の決意がないと、このまま今年が終わってしまう。
愚痴を言うわけではないが、会社で今年から新しい仕事を与えられて、かなりの負荷になっている。超前向きの私でも心身ともに疲れきってきた。しかし、これ以上の手抜きはできない。となれば、何か他のことを犠牲にしてでも、執筆の時間を作らないと、年内出版の可能性は消えてしまう。
そこで、苦しい選択と決断をせざるを得なかった。
気まぐれ日記の約4週間休止である。
再開は7月17日(土)(予定)で読者の皆さんと再会することになる(いちおう洒落です)。
それまで、鳴海風を暖かく見守っていてくださいm(_
_)m。
04年7月はここ
気まぐれ日記のトップへ戻る